コンビニ店員から華麗なるセレブママへ〜10年間の軌跡〜

あなたは、自分の心に正直に生きていますか?

仕事で成功し、しっかり自分の足で立って、自分で自分を幸せにする。
女性の自立はすばらしいことですが、ついそんな思いに偏りすぎて、女性としての幸せを望むことから目を背け、知らず知らずのうちに自分で自分を縛り、不自由に生きていませんか?

何も持たず、「自分がどう生きたいのか」すらわからないまま、コンビニ店員として曇りがちな日々を送っていた10年前のあの頃。
女性性を封じ込め、ひたすら仕事に没頭していた数年前までの張りつめた日々。そこからどんな選択と決断を重ね、そんな過去が、愛する家族と世界を舞台に人生を楽しみ尽くす現在へと結びついたのか。

女性としての幸せのすべてを手に入れた奥野恵美さんのドラマチックな10年間の軌跡をお伝えします。

今が楽しければ、それでいい

高校を卒業して少しの自由を得たけれど、「当時は何もしたいことがなかった」と恵美さんは10年前を振り返ります。
本来なら、進学や就職にそれなりに夢や希望を抱く時期。でも、将来のことを考えることすら手放していた当時の恵美さんは「とりあえず、今が楽しければいい」と、地元のコンビニでアルバイトをして、そこで稼いだお金でささやかな楽しみを手に入れる日々を送っていました。時給は600円代。10代の女の子とはいえ、楽しい毎日を送るのに決して十分な収入とはいえませんでした。

そんな折、仲の良い友人が夜の世界で働き始めたことを知ります。
当時の恵美さんにとって、夜の仕事に対するイメージはとてもネガティブなものでした。夜の世界なんて、お金は稼げるかもしれないけど、いろいろなものがドロドロと絡み合うような汚い世界に決まっている。それなのに、友人を通して知る夜の世界は、とてもキラキラした世界に感じられました。

「本当のところはどうなのだろう」自分の目で確かめたい気持ちと、これまで何もしたいことがなかった自分の中に、「もっとお金を稼いで、好きなもの、ほしいものを手に入れて、キレイになりたい!」という欲が生まれるのを感じていました。

つかの間のシンデレラ

恵美さんについてどんな人かと聞かれたら、第一に「類い稀な行動力をもった人」と答えるでしょう。
それが最初に発揮されたのは、19歳の時。恵美さんは、自分の中に生まれた気持ちに真っすぐ突き動かされるまま、地元福岡で夜の世界へ飛び込みます。そこは、自分がかつて抱いていたイメージとはまるで違う、とても華やかな世界でした。美しく着飾って、楽しくおしゃべりをして、コンビニ店員とは比にならないほどのお金を稼ぐことができる。それは恵美さんにとって、まるでシンデレラになれる魔法のような時間でした。

もともと悪いイメージを抱いていただけに、そのギャップに強く惹かれ、夜の仕事に夢中になっていく反面、この頃はまだ以前と同じく「今が楽しければいい」と思っていたと恵美さんは言います。気が向いたときだけお店に出て、稼いだお金はすぐに全部使ってしまう。まさにその日暮らしの生活は、数ヶ月続きました。

その頃、恋愛模様にも変化がありました。学生時代から付き合っていた彼氏が夜の仕事をすることを嫌がり、束縛もひどく、ケンカを繰り返すようになっていた頃、当時働いていたお店で10歳以上年上の男性と恋に落ちたのです。
今まで体験したことのないデート、大人の余裕。恵美さんは、かつての彼氏が持ち得なかった大人の魅力にハマっていきました。
でも実は彼は、大人の魅力をもつ悪い男だったのです。「今思えば、私に一生懸命働かせるための色恋管理だった」と恵美さんは語ります。当時若干20歳で純粋に彼に恋をしていた恵美さん。また、これまでの人生において何よりもLOVEを大切にして生きてきた恵美さんにとって、そんな彼の本性を知ることは、心に深い傷を負うのに十分すぎるものでした。
でも、ここでただ深く傷ついて悲しみにくれるだけでは終わらないのが奥野恵美。失恋の悲しみはほどなくして怒りに変わり、その怒りは同時に強いモチベーションになりました。「他の店でナンバーワンになって、絶対に彼を見返してやる!!」負のエネルギーが原動力となった、20歳の決意でした。

必殺仕事人

純粋に恋した相手が、自分を働かせるために色恋管理をしていたと知った恵美さんは、傷を乗り越えた後、彼を見返すには他の店で活躍することが一番有効だと考え、店を移り、働き方を大きく変えました。

「今が楽しければいい、お姫様扱いされたい」というこれまでの気持ちから一転、結果を出すことに全力でフォーカスするようになります。どうしたら自分をもっと魅力的に魅せられるかを考え、外見を磨き、どうやったらお客様の心をつかめるかを考え、本を読みあさり、男性心理を学び、内面も必死で磨きました。
本に書いてあったノウハウを実際に試したらうまくいかずに、叱られたこともありましたが、ただひたすらトライ&エラーを繰り返すことで、少しずつ魅力的なホステスの在り方をメソッド化していったのです。

その圧倒的な努力に結果が追いつくまで、そう時間はかかりませんでした。
恵美さんはほどなくして、見事その店のナンバーワンになったのです。でもそれは、ゴールではありませんでした。この頃の恵美さんにとって、ナンバーワンになることへのモチベーションはすでに彼を見返したいという思いだけではなくなっていたのです。そして、一度ナンバーワンの座を手に入れたら、次は「誰にもナンバーワンの座を奪われたくない」という新たな意欲が生まれ、さらに恵美さんを駆り立てました。

気まぐれに働いていた以前のスタイルからは考えられないほど、仕事にすべての情熱を捧げる日々。多くの女性のトップに立つということは、ひがみや妬みなど他の女性から負の感情を向けられるということでもあり、ナンバーワンを維持する傍ら、恵美さんはこの頃に女性を味方につけるためのコツも身につけたと言います。すべては、自他ともに認めるナンバーワンで在り続けるため。

その姿にやがて周囲の大きな協力も得られるようになり、恵美さんは中州ナンバーワンホステスとしてメディア露出する機会も増え、中州の夜に欠くことのできない存在として、その地位を確立していきました。

毎日100人以上のお客様とアポを取り、週5日の出勤日に関わらず、お店にいない時間もすべて仕事に費やした約5年間。

「必殺仕事人だったんです」

今の穏やかな笑顔からは想像もできない張りつめた過去を、恵美さんはユニークな言葉で振り返りました。

もっと広い世界へ

中州ナンバーワンとしての地位を不動のものとしていた24歳の頃、ふと恵美さんは思いました。

「自分は、井の中の蛙かもしれない」

無性にもっと広い世界へ飛び出したい衝動にかられた恵美さんは、なんと、広い世界へ出ようと思い立った約1ヶ月後には、東京都心に拠点を移していました。
この突然の大胆な行動の理由を尋ねたら、「ノリと勢いです」といたずらっ子のような笑顔で語った恵美さん。しかし、ただノリと勢いだけで広い世界を望んだわけではなく、恵美さんには東京で叶えたい夢がありました。

「六本木で一番いい店でナンバーワンになる」

いくら中州での実績があるとはいえ、それはとても高いハードルに思えました。しかしながら恵美さんは、実際に当時六本木で一番と絶賛されていた人気の店に籍を置き、なんと入店初月にナンバーワンになるという偉業を成し遂げたのです。

中州での経験から、恵美さんは夜の世界のわかりやすい仕組みを熟知していました。夜の世界では売上がすべて。売れれば大切にされ、自分の意志が尊重される。そのことをよくわかっていたからこそ、戦略的に初月ナンバーワンを成し遂げたのです。

それだけではありませんでした。入店初日には、全国から駆けつけた恵美さんのお客様で店は満席に。この華々しいスタートは、六本木の話題をさらいました。

運命の出会い

どんなに華々しい記録を打ち立てても、六本木では中州のようにナンバーワンホステスがアイドルのように扱われるわけではなく、日々自分の記録を更新するためのがむしゃらな戦いの日々が続いていました。

「30歳まではホステスをやり切ろう」そう思って厳しい努力の日々に身を置いていた恵美さんですが、ある日、運命的な出会いをすることになります。24歳の終わり頃に恋したその人は、後にご主人となる人でした。

本来は恋愛至上主義で、かつては良くも悪くも恋愛をモチベーションに生きていた恵美さん。「必殺仕事人」だった頃は、自分のそんな一面を封じ込め、氷の心でただ成り上がることに必至だった、と当時を振り返ります。

ご主人に恋をしたことで、その氷の心が溶け始めた恵美さんは、少しずつ本来の「LOVE軸」を取り戻し、これにより過去最大の大きな変化を遂げることになります。

六本木伝説の女の行方

ご主人に恋する日々の中でも、恵美さんはまだ夜の六本木で仕事をしていました。それは、25歳の誕生日に自分至上最高の売上目標を掲げていたからです。これまでも自ら決めたことはすべて実現してきた恵美さん。25歳を迎えた夜、自らにプレゼントを贈るかのようにその目標を見事達成し、なんと、その日を最後に店に姿を現すことは二度とありませんでした。

恵美さんの存在が六本木で伝説となった頃、当の恵美さんの姿は、東京から遠く離れた宮古島にありました。

福岡で夜の世界に飛び込んで以来、がむしゃらに働き続けてきた恵美さんにとって、初めての仕事から解き放たれ、ひとりの女の子として過ごす時間。

初めは一ヶ月の休暇のつもりでしたが、宮古島でLOVE全開の日々を送ることで「必殺仕事人」から本来の姿を取り戻した恵美さんに彼もますます魅力を感じ、結婚を前提に交際を申し込まれ、夜の仕事を引退することを決意したのでした。

この25歳の誕生日から始まった旅が、恵美さんにとって人生のターニングポイントとなります。25歳の一年間は仕事をせず、彼と愛を育みながらのんびり過ごしていました。そして、翌年妊娠が発覚し、26歳で結婚、出産。

本心でずっと追い求めていた、女性としてのかけがえのない幸せを手に入れたのです。

今だから伝えたいこと

愛するご主人との間に生まれた女の子もすくすく成長し、自身で会社経営もしながら家族で自由に世界を旅してまわるという、誰もが憧れる以上の幸せを手にした恵美さん。

でも、これまでつづってきたように、初めからすべてを持っていたわけではありませんでした。むしろ、何もないところから自分の手でつかみ取ってきた幸せ。
ゼロから築き上げては潔く手放す大胆な決断力と行動力は、恵美さんが何よりも強く自分を信じることができているからこそではないでしょうか。

これまでの10年間に、恵美さんは何を思うのかを聞いてみました。

「がむしゃらに働いていた頃は、必要以上に自分を追いつめ、いつ割れてもおかしくないくらい心を凍りつかせていました。ストイックすぎて、心や身体、いろいろなもののバランスを保てていませんでした。自分で自分の幸せにフタをして、自分の気持ちより周りにどう見られるかを優先して、他人の軸で生きていたのだと思います。」

そんな恵美さんが、今だからこそたくさんの女性に伝えたいのは、「自分次第で必ず望むステージに行くことができる」、「想像もしていなかった世界を切り拓ける」、という希望だと言います。

人は、自分自身を信じられないと、どうしても「夢を叶えられる人」や「幸せになれる人」と自分を切り離して考えてしまいがちです。恵美さんもかつてはそうでした。

ホステス時代の「頑張れば結果が出る」という経験の積み重ねによって、少しずつマインドが変わり、「自分次第で未来は切り拓ける」と信じられるようになったのと同時に、周りに感謝すること、周りに花を持たせること、ひとりでは何もできないことも学んだのだと言います。

今は、女性の自立が促されていますが、恵美さんはせっかく女性に生まれたのだから、男性の力も上手に借りてほしいと願っています。

もちろん女性の自立はすばらしいことですが、「男女には本質的な使命の違いがあるのだから、頑にならず、女性は女性性を磨き、男性と協力し合う方が無理なく自然に幸せに生きられるのでは」と、自らの経験をもとに恵美さんは語ります。

男性以上に仕事にのめり込んでいた頃より、女性らしくいることを選んだことで、幸せな人生が一気に加速した恵美さん。

そんな恵美さんだからこそ伝えられる本当の女性の幸せを、次回以降、様々な観点から紐といていきます。

By | 2017-08-25T16:22:19+00:00 2017-03-15|COLUMN|